消極的選択としての選挙
民主党の代表選が始まりました
立候補したメンツを見ると、長妻、岡田、細野じゃあ政権を担えるような党として再生することは無理だろうと思います。
岡田じゃあ古い看板をかける感じだし、長妻は年金問題で輝いていた人ぐらいの印象でしかないので、未知数。一時期の正義感で成功した人が、大迷惑をもたらしたなんて言うのは、菅直人の薬害エイズやかいわれ騒動で懲りてます。
細野には、モナ夫騒動は別にして八方美人なところがあって主義主張がいまいちよくわからない。民主のなかの保守勢力を結集する力があるかと一時期は思ってもいましたが。
ここ最近、選挙で投票するという行為は、「誰がいいか」より「誰がよりましか」の視点で選ぶことだと感じています。
外交から経済、福祉に至まで100%全く意見の一致した候補がいればいいのですが、そんな人は皆無であり、たとえ主張がすべて一緒でも実行力がともわない力のない人だったり、選挙前だけいいことをいう人だったりします。(まさに民主党のこと)
さて民主党党首には「誰がよりましな」候補といえるでしょうか。
ここはまだ長妻かなて感じがします。何事もなく何もせずで行ける人選かと。